清楚咲夜の日記

何らかの研究をしている私が、趣味について綴るブログです

博士人材活躍プランについて思うところ

皆様いかがお過ごしでしょうか。清楚咲夜と申します。

2024年4月、文科省から「博士人材活躍プラン~博士をとろう~」が取りまとめられ、広報されました。

ここで、私の実体験を踏まえながら、この政策についての所感をまとめていければな、と思います。ちなみに、私の専門分野的に言えば社会科学なので文系です。理系はまた別だと思います。

 

 

社会人大学院生という学び方

収入と理解という問題

みなさんは「大学院」に進学しようと思ったことはあるでしょうか。

大学院というと、学部卒で就職するのが嫌な人がいくところ、や、専門的に学びを深めたい人がいくところ、といった印象をお持ちではないでしょうか。

 

私は学部時代の1回生の時に、後の指導教員となる先生(学術分野ではかなり有名な先生です。科研費の採択数もかなりあります。)に憧れて「院に進もうかな」「将来は大学教員という働き方も良さそうだ」と考えたことがあります。

しかし、3回生から4回生になる時、この先生が定年ということで大学を去ってしまいました。このときに「院に進んでも指導してくれる先生、分野に適合する先生がいないから院進を辞めよう」と考え、一切していなかった就職活動をして、苦労した末内定が得られた(公的機関です)ことを今でも覚えています。

 

時は過ぎ、勤務をするなかで、「やっぱり自分は研究をして、様々なことを明らかにしたい」という気持ちが芽生えました。

しかし、この勤務先では先例がないということで、大学院に進学するか、仕事を選ぶかにしろ、ということで大学院を選んで退職しました。

このタイミングで、大学で働くこととなり(教員ではなく、職員兼研究員です)ましたが、研究者が研究をする時間を確保できない現状、また「もっと研究したい」という熱があって、やはりこの職場でも(大学なのに)先ほどと同じようなことが起きました。

勿論、大学院を選んで退職しましたが。

 

しかし、ここからが問題です。

いざ、院に進んで無職という状態である中で収入は絶たれています。預貯金をしていたと言え、研究費用に多額を費やしていたことから、すぐに資金がショートしそうになりました。このときの心理的な余裕がない状態、焦り、将来が見通せない恐怖感は、同じ経験をした人、また博士後期課程に在籍している方なら痛いほどお分りいただけるのではないでしょうか。

 

院は都心の大学ということもあって、それまでの生活と比べてしまう所がありますが、社会的に、「大学院に進む理解」が得られやすいように思います。しかし、地方は仕事か院(学び)か、の二項対立なので、後述する「博士人材」が育つ土壌ができていないと思いました。

 

実際に、働きながら研究するまで

色々とありましたが、現在、院に在籍しながら働いています。生活していくにはお金が必要なので仕方ありません。本当は、働かなくても研究にゾッコンできれば一番いいのですが。

「働こう」と思って、これまでの勤務経験から履歴書を送ってみるも、30社ほどから落選、面接につながったのは2社、そのうち1社が今お世話になっている研究系企業です。

社会人大学院は、基本的に午後遅い時間に講義が開講されます。そのため、理解のある会社であれば、時間の調整をしてくれたり、業務量の調整をしてくれたりするんだな……と感じました。採用してもらって本当に頭が上がりません。

 

勤務しながらのデメリット

やはり、みなさんも(経験者であれば特に)「時間的に大丈夫なの?」「身体は持つのか?」という心配があるでしょう。

私は比較的体力はありますが、それ以上に知的好奇心に基づいて「研究をしたい」と考えているので、幾つかデメリットが浮上しました。

  1. 無職の時に比べて、研究に充てられる時間が減った
  2. 休む時間は仕事と大学院の講義等がない日・寝る時だけ

この2つです。

1つ目に関しては、修士・博士後期の短い時間で業績を上げなければならないという、ある種の義務感から、相当負担になりました。

先行研究も、データプロットも、現地調査も何もかもスキマ時間を見つけてやらざるを得ません。非常にハードです。

2つ目は、慣れて乗り切るしかないと思います。

 

本当に博士は輩出できるのか。

理解という土壌

「博士人材活躍プラン~博士をとろう~」 (PDF:4.4MB) 

まずは、こちらの資料に基づいて所感を述べます。

全体的に資料を読んでいただくと、「7-文部科学省から始めます。」では働きながら~という文言が見られますが、それ以外の章では殆ど見られません。

私の経験から、都心部はある程度、働きながら大学院に在籍するという意味を分かっていて、それを許容してくれる土壌が出来ていると感じます。しかし、地方では、理系分野の企業派遣を除いて、文系分野に対する理解というのが殆どないのが現状ではないでしょうか。

まずは文部科学省から始めるということですが、博士後期課程に在籍するには修士号を取得していなければほぼ在籍することが不可能でしょう。いきなり博士ではなく、まずは修士号取得者を増やすことから始めるべきだと考えます。

博士人材を活躍させる・増やすというゴールに向かうための、修士を増やすプランを検討してもらいたいと考えています。

 

経済的支援と研究と社会的地位

アカデミックな界隈では既知の方が多いと思いますが、博士後期課程在籍者に対する経済的支援というものは現在あります。最も有名なのは、DC1、DC2と呼ばれる日本学術振興会が公募している、経済支援である「学振DC」です。これは、月20万と分野によって60万もしくは100万円の研究費が支給されるというものです。

しかし、考えなければならないのは「月20万=年240万」で、学費と生活費・家賃がまかなえるか?という問題です。また、学振DCは申し込めば全員が採択されるのではなく、申請した3割程度の人が採択されるものです。したがって、数千人といる博士後期課程在籍者の、ほんのごく一握りの研究者のたまごだけ、実質的な経済支援が受けられる現状があります。勿論、大学院によっては学費免除やオリジナルの経済支援などがありますが、それが十分とは言えない現状でしょう。

 

学振DCは、トップクラスの研究者を養成するという意義の元行っていることですので、ある程度は承知しなければならない部分があります。しかし、諸外国ではどうでしょうか。博士後期課程在籍者に対しての手厚い援助と、十分に研究できる時間と場が用意されていることに比べれば、圧倒的に日本は遅れています。

 

6-1具体的取組みでは、研究者以外としてのキャリアパスを提示しています。

博士号取得しても研究者として大学に採用されるとは限らない現状や、専門分野の見識を実践的に発揮できることを踏まえれば妥当であるし、知識を活用できる場は重要であると考えますが、大学で勤務した経験がある私からすると、大学で受け入れられる(ポストがある)ような態勢づくりも同等に重要なことと考えます。

博士号の取得者、博士後期課程在籍者が他国に比べて少ない現状であり、国内では博士号を取得してもポストがない、就職する場所がない、という問題、そして、海外では博士号を持つ人が社会的に認められ、尊敬の意をもたれていることなど、解決すべき様々な課題や社会的雰囲気を、どのように改善・醸成していくのか。

日本は、プロフェッショナルである「博士」の扱いがぞんざいな気がしてなりません。

 

日本をどうしていきたいのか

2-意義・目的では「我が国では 人口当たりの博士号取得者数が他の先進国と比較して相対的 に少なく、また、博士人材の社会の多様な場での活躍が進んでおらず、そのことが我が国の停滞を招いているとの声もあります」(p.3)という記述があります。

これは、アメリカや中国など先進国と比較した時に、よく日本がダメな所として扱われる部分でもあります。

経済的なことはあまり口出しをするつもりがありませんし、政策等の批判もする気はありません。しかし、博士号を取得して就職したら、「研修」という名の企業色に染められる必要があるのか、入社時期の違いから学士の方が給与と役職が高いのではないか(博士が下に見られるのではないか)、適材適所にハマれるか、など、博士であることの強みと身分、そして自由かつ創造的でいられるのか、という懸念がどうしても拭えません。企業に属する研究者、専門者であることには違いありませんが、「1人の研究者」として仕事ができる雰囲気があるのかなど、検討すべき事項は多岐に渡ると考えます。

こうしたことを検討し、政策に反映したり世論を形成したりしなければ、必ずしも「日本が良くなる」とは言えないと私は考えています。

 

結びに

博士を増やすことには賛成ですし、寧ろ日本の現状を考えれば、すぐさま実行していくべきだと考えます。しかし、修士はどうなるのか、社会は変わるのかなど様々な(細かな)点を抑えて社会基盤を形成していく必要が重要だと考えます。

経済的支援策を中心に、様々な背景を持つ人が大学院に興味を持ち、学び、研究するような政策となることを切に願います。