皆様いかがお過ごしでしょうか。清楚咲夜と申します。
本ブログでもちらほらと記述しておりますが、転職し職場が変わりました。
職務遂行になれない日々が続いています。
そんな中、企業風土と言いますか。いわゆる「会社の雰囲気」に慣れるのは相当しんどいな、と思っている日々です。
(本内容は企業文化などの側面から学問的に考えたものですので、実務には向きません)
本記事を書こうと思ったきっかけ
既に私のブログをずっと(?!)閲覧されている方なら「この人の職業はなんとなく分かるな…」と思われるような書き方をしていました。
高等教育機関とりわけ大学・短大の研究者として働いていましたが、色々あって他の高等教育機関(一条校ではありません)での勤務を今年から始めました。
しかし、「一条校」という厳格な法に基づき教育の質が保証されていた機関を離れ、色々と感じることがあったので、教育系内容を扱うコラムの第一弾として執筆しようと思った次第です。
企業風土に見る「様・さん」の文化
教育機関を「企業風土」というのもおかしな話しですが、「学内の様子」というのもおかしい気がするので、本記事では一般的に社会通念として理解されやすい「企業風土」という言葉を用いて論じたいと思います。
みなさん、ビジネスでメールを使う機会はありますか?今や殆どの現場でメールを介して連絡が行われていると思います。
私の場合、前職はそういう機関でしたので例えば…
教員同士のメールでは「○○先生」や「○○学部○○学科教授 ○○先生」や「○○学部長」などという敬称が記されていました。勿論、外部の方や学内の事務の方と連絡を取る際には民間企業であれば「○○様」(名前の前に職位が記されることもあれば、○○部長のような例もありました。)も使用していました。
つまり、教員同士対等な関係であれば、ともに「先生」で呼び合うことは普通で、それ以外の方にも「様」を使ってビジネス上のやりとりをしていたというわけです。
公職でも「○○参事」など記すかと思います。
(※機関によって異なる可能性があります)
しかし、新たに着任した教育機関では不思議なことに全員が「さん」づけでメールをしているという文化でした。
まず、「え?」と。
よくいえばフラットな組織、悪くいえば学生気分の抜けない組織と思います。
しかし、これまで日本社会において普遍的な価値観(保守的?)であった「上下関係」が一層濃い大学という社会で生きてきた私には、あり得なくて開いた口が塞がりません。
メールを送ったところ「なんで"様"なの?他の人、みんな"さん"だよね??」といわれて訳分からん。
主題に「企業風土に見る」と設定していますので、この観点から考えてみたいと思います。
私がひねくれ者(ストレートにいうと「社会不適合者」)という自覚がありますが(でなければ、研究をメインに据えた仕事などするはずがありませんし、そういう環境でないと社会で生存ができないのです)、9年間の義務教育と3年間の実質的な義務教育の合計12年間で身につけた「上下関係」というのはそうやすやすと消えるものではありません。ましてや、そこに4年間+α+研究職という、社会と隔絶された第二の社会で生きてきた私にとっては、仕事=自分と他者の関係から知的価値を生み出すことと捉えているので、如何なるシーンであっても常にビジネスライクな関係が求められていました。
しかし、第二の社会から久しぶりに「社会」に出ると、世間では「働き方改革」なるものや「みんなで頑張ろう」という理念(ビジョン)を掲げ生産活動を行っている共同体があることを今更知りました。
突然ですが、ゲマインシャフト・ゲゼルシャフトという単語を聞いたことがあるという方もいるかと思います。
前者は自然発生的な共同体をいいます。つまり、家制度(家族)や血縁関係、サークルなどが該当します。
後者は任意の目的を実現するために構成された共同体、つまり一般的な企業がこれに該当します。ゲマインシャフト・ゲゼルシャフトという二項対立で語ることは難しいのですが、企業によってグラデーションがあるということです。
私の例でいえば、前職は企業風土として捉えればゲゼルシャフト的な側面が強いが、個々のつながりを見るとゲマインシャフト的な感情に基づき自然発生した「目的に向けてよりよい状態にするにはどうするか?」利益をともに享受しあうという社会集団でありました。
一方で現職は、表面上はよく見えても実態・本質はそうでもない(仲が良さそうに見えるが、結局それは利益を追求するための過程といいましょう)典型的なゲゼルシャフト的な利益を追求する集団であるのです。
(この辺りは専門分野ではないので、若干誤りがある可能性があります)
すなわち、「様」は表面的に見ると利益を追求したビジネス上の関係に見えるが、その他に用いられている敬称が存在する(先生という共通項がある)ので、所属していた機関では感情的なつながりから成る組織ができていたわけです。
しかし、「さん」を用いる今いる組織は(あまりに正直な話しをすると所属先がバレるので若干隠匿しますが)経営母体が統一された目標を立てており、個々の部門がその統一された目標(利益)に向けて活動するなかで、表面的な「つながり」を演じることで団結力という名のふるまいを演じ、さらなる利潤を獲得する圧力をかけていると考えます。
個人の考えとしては「様」がよい
とりとめのないことを書いてきましたが(コラムなので許して)、「様」と「さん」ではどのように異なるのでしょうか。
流行に乗っかって「Edge」のCopilotを使ってみました。
「様」と「さん」は、日本語で使い分ける敬称です。どちらも相手に対する丁寧な呼び方ですが、微妙なニュアンスがあります。
「様」:
・より一般的で、ビジネスメールなどでよく使われます。
・親しみをこめた呼び方としても使用されますが、失礼ではありません。
・初対面の相手やフォーマルな通知などにはあまり使われません。
「さん」:
・一般的には日常的な呼び方です。
・同僚や知り合い、出会ったばかりの友達などに使います。
・相手の立場に立って慎重に使用することが大切です。
(出力内容を引用しました)
正直なところ、使用シーンに気を付けようね!程度でした。
なら、なおさら「さん」より「様」のほうがよいのではないでしょうか。
「さん」と「様」では、親密度に差が感じられるという方もいるでしょうし、組織内の疎外感を生み出すと考える方もいると思われます。
しかし、職場は何をする場所でしょうか。遊び?対談?それとも仲良しごっこ?
異動・退職・就職によって構成員は流動的に変化をします。
職場で演じられる「仲の良さ」から成るアットホーム感は、もちろん企業によって尺度が異なるでしょう。先述したように、過去に感情同士のつながりがあり、その感情が発展して形成されたアットホーム感と、利益を追求するために人為的に構成されたアットホーム感では訳が異なります。
考えれば考えるほど難しくなりますが、目標に向けて表面的な仲良しを演じる・演じられた姿を見るほど人為的に構成されたように思えて気持ち悪く感じます。
組織への帰属意識も影響するのでしょうが、少なくとも私と同じように考えている方、仕事は仕事・生活は生活(ライフワークバランス)と割り切っている方、保守的な方、中山間地域で生まれ・育った方こそ「様」を使い続けてほしいと思います。
現職場は任期有なので、あと300日「さん」に耐えられるか、それだけが心配です。